四国88ヶ所をすべて打ち終え、高野山にお礼参りも済ませた今、およそ半年前の年越し遍路行のことを書いてるフシギ…。
その頃のことを思い出す。
年越し遍路から帰ってきてから、みるみる入院中の母の具合が悪化。とうとう意識不明に・・・。
主治医からは匙を投げられ、「もういつなにがあってもおかしくないので」と言われ、もうなにがなにやらさっぱりわからんまま、今起こってることが受け入れられなくて毎日おろおろするばかり。
病室に泊まりこむ生活が始まり、母のからだにつなげられた電子機器のアラーム音が鳴るたびにドキーンとしてナースコールを押す。
アラーム音が耳鳴りのように始終鳴ってるような気がして、夜中にハッと目が覚めることもしばし。
「ちょっと休まないとアンタが倒れるよ」と言われても、気は休まらない。休まるはずがない。
いや、人間って気が張ってると多少のムリはきくもんですな。ほとんど眠ってなくても周りが心配するような共倒れもなく、そう思うと「丈夫に産んでくれてありがとう」なんて、意識のない母に感謝してみたり…。
そやけど…
道の駅を見つける度に買い物したり、宇和島の闘牛を見物したり、掛け連れのおへんろさんと昼間っからビール飲んだり、道に迷ってどうにも後戻りする元気がなくなり地元のおじさんをヒッチハイクしたり、引率してくださる先達さんにエラソーな口叩いたり、悪行の数々はあるけれど、おしなべてだいたいおおよそまじめに88ヶ所のお参りをしたつもりなのに、なんでお大師っさんはこんなことしはるんやろ?
それともアタシャ前世でよほどの悪いことでもしたんだろーか?
夜中、静まり返った病室。眠り続ける母の顔を見ながら何度もお大師っさんに恨み言を言った。
夜、眠れなくて簡易ベッドの上で写経する日々…。
病院で写経やなんて縁起でもない…と思われるかもしれないけれど、そんなことくらいしかできない自分がもどかしかった。
あれから4ヶ月。
意識不明だった母は、今ベッドに座っておかきをボリボリ食べてます。
「お茶とってー」とか、「コーヒー飲みたいわー」とかワタシを女中のように使います。病院食がおいしくないから、何か作って持って行くと喜んで食べます。
昼間お天気がいい日は、車イスで近くの川まで散歩します。
ウソのような4ヶ月前。そして、その頃から思えばウソのような今。いや、それは言い過ぎか。わがままに振り回されすぎて少々疲れ気味ではありますが、でも、4ヶ月前のことを思えば…。
お大師っさんは、願いを聞き届けてくれはったんやと思てます。
容体が安定してきたことを確認し、御礼を言うのと更なる母の回復を願いに3月末に遍路へ出ました。
この遍路行は、これまでのそれとはちょっと違った気持ちで出立することとなり、また、歩き始めた5年前には想像すらできなかった遍路行となりました。
『人生は遍路』というメッセージをへんろ道でときどき見かけましたが、なるほどこれがそうなのか?と思ったりも…。