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おおさかまちあるきvol15 -天王寺七坂オダサク編-

昔、上町台地以外は、ほとんどが海の底だったという大坂。その名残で、上町台地からいくつもの坂道が伸びている。谷9あたりから天王寺までにかけて天王寺七坂は、大阪のまちなかにありながら今も古きよき時代を思い出させる佇まいだ。

おおさかまちあるきvol15 -天王寺七坂オダサク編-_e0008223_2091034.jpgおおさかまちあるきvol15 -天王寺七坂オダサク編-_e0008223_2093857.jpg
生玉さんの北門につながる真言坂は、七坂の中で唯一南北に走っている。
源聖寺坂は、坂のふもとにある源聖寺というお寺が名前の由来で、坂のはじめはゆるゆるとした石畳だが、のぼるにつれ細かく刻む石段になっており、一気に上ると息があがる。
坂の途中、右手には銀山寺という秀吉縁のお寺があり、近松門左衛門作の『心中宵庚申』のお千代半兵衛比翼塚があるそうだ。また、文楽人形の大夫、故吉田玉男(ワタシは"たまおちゃん"と(勝手に)呼んで、ファンでありました。)さんの墓もあったということを後で知り、うぅ~ん残念。

おおさかまちあるきvol15 -天王寺七坂オダサク編-_e0008223_20102295.jpgおおさかまちあるきvol15 -天王寺七坂オダサク編-_e0008223_20103622.jpg
坂を上りきって深呼吸をし、今上ってきた坂道を見下ろす。なるほどほんとに上町台地だ。高台なんだわー。と、今更ながら納得する。
またボチボチと坂を下り、途中、にゃーさんがヨソもんを見る目で寝そべったまま一瞥をくれる。
松屋町筋を北へしばらく歩くと口縄坂の標識が見えた。
くちなわとは、へびのこと。うねうねと曲がる坂道が蛇の這うような姿に見えるところから名づけられたとも、大阪城築城の折、測量の縄打ち口(起点)がここだったからともいわれる。

だらだらと続く坂道をゆっくりゆっくりじーちゃんがのぼってゆく。曲った腰をときどき伸ばしながらのぼってゆく。影がずいぶん長くなった。
おおさかまちあるきvol15 -天王寺七坂オダサク編-_e0008223_20132879.jpgおおさかまちあるきvol15 -天王寺七坂オダサク編-_e0008223_20135679.jpg
おぉ!こんなとこにも芭蕉師匠がっ!"口とじて 蛇坂を 下りけり"という句を詠んでいる。
坂の上には、ここ口縄坂を舞台にした織田作之助の『木の都』の文学碑があり、「ふぅ~ん」な程度の感想だったが、後日図書館で探して読んでみると出るわ出るわ、高津さんから生玉さん界隈のことや千日前通りの市電のはなしなどなど・・・モロ地元ですやんオダサクーぅ!

おおさかまちあるきvol15 -天王寺七坂オダサク編-_e0008223_20141877.jpg法善寺横丁の夫婦善哉や、難波の自由軒のカレーは、ずいぶん昔に我が舌でチェック済み!
が、時代こそ違え、ガッコの先輩であったりとか生活圏がかなりダブっておったのですなーオダサクーっ!長いこと住んでて今初めて知る先人のスゴいお歴々…。直木三十五や織田作之助に申し訳のぅて申し訳のぅて・・・(^_^;)
知らなんだとはいえ、今までもったいないことしたなぁ~と今頃慌てて、ちくま文庫のオダサク全集を読んでるような次第・・・。

by ke-ko63 | 2009-07-03 16:11 | Comments(6)  

Commented by macky023 at 2009-07-04 11:10
オダサクさんと言えば、やっぱり自由軒のカレー
ですわな。我が舌でもチェック澄み。
Commented by mikeblog at 2009-07-04 23:55
大阪がその昔は海の底だったとはねー。大阪は昔行ったことがあったのに不勉強で何も覚えていない・・・。やっぱり予習は大事なんですね。このにゃんこは五ーちゃんとは色違いだけどよく似てます。
Commented by ke-ko63 at 2009-07-05 14:17
>まっきぃセンセー
わははっ。さすが!
その後、いろいろと持ちネタは増えつつありますぞ!
Commented by ke-ko63 at 2009-07-05 14:19
>ミケさん
ちぬの海と昔はよばれたらしく、それはそれはぎょーさん魚がとれたそうです。まちなかに貝塚があったりもするからほんとなんでしょうなぁ…。
もう一匹三毛猫にゃーさんを目撃しましたが、一瞥どころかしらんぷりしたのでアップしてやんないのです。
Commented by sekka at 2009-07-07 18:14 x
こんにちは綺麗な写真ですね。オダサクの後輩とはうらやましい限りです。歴史好きにとって夕陽ケ丘界隈は一種の憧れの地です。
チヌの海って優しい響きですよね。そういえば「なにわ」は魚庭と書いたともいわれてますね。
どの名前にしろ、魚の豊富な海だったよう。
ちなみに大阪を浸していた河内湾は、今では天王寺公園茶臼山古墳側の川底池に、その姿をみることができるのですが、
歴史を知った上で眺めると、また違った姿が見えてきて感慨もひとしおですね。

Commented by はりQ at 2009-07-09 13:45 x
>sekkaさん

茶臼山古墳!あの池でむかーし貸しボートに乗ってデートしたことがあります。なつかしなー。
今、オダサクを読んでおりますが、知ってるところがバンバン出てきてうれしくなります。
sekkaさんも大阪の方なのでしょうか?
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